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    <title>THE INTERVIEW</title>
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    <copyright>Copyright FM FUKUSHIMA.Broadcasting Co.,Ltd All Rights Reserved.</copyright>
    <description>過去や現在起きている社会的、あるいは文化的事柄を音声データによりアーカイブ化し、場所や時間を超え次世代に継承。社会的、文化的発展につなげ、情報の保存・共有・活用のサイクルに繋げていくことを目的とした特別番組です</description>
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      <title>2024.3.11放送　復元納棺師 笹原留似子 - 復元納棺師 笹原留似子Part3</title>
      <link>https://audee.jp/voice/show/78864</link>
      <description>死傷者行方不明者数2万8千人超、過去に例のない甚大な被害をもたらした

『東日本大震災』。各地を襲った津波の高さは最大で14.8mに及び、

この災害で亡くなった方の死因は90％超が溺死と言われています。

ご遺体が安置所へ次々と運び込まれましたが、損傷が激しいこともあり身元確認に

時間を要し、保管は長引き腐敗も進みました。

事故や災害などで傷ついたご遺体を、生前の姿に重ね合わせ復元する『復元納棺師』。

 

笹原留似子さんは岩手県北上市で復元納棺師として活動。看護学校の特別講師として

グリーフケア、グリーフケアに伴う接遇講師も担当。東日本大震災では遺族や機関関係者から

依頼を受け遺体安置所をまわり、5ヶ月間で300人を超える「復元ボランティア」として奔走しました。

 

笹原さんが納棺師として活動が始まったのは2007年。交通事故によって亡くなったご遺体を家族に引き渡すにあたり、遺族が死という現実を受け止め故人を見送れるよう、

ご遺体をできるだけ生前と同じ顔、微笑みを浮かべた表情に戻す「復元」を始めたことが

きっかけです。家族のお別れの時間を守るため「ご遺体に微笑みを取り戻す」、

何度も繰り返すうちに、笹原さんは「復元納棺師」と呼ばれるようになりました。

 

東日本大震災のとき、遺体安置所で小さな亡骸と出会った笹原さん。「身元不明者」で

あったことから触れることすらできませんでしたが、「あの子を戻してあげられなかった」という後悔は、その後の復元ボランティアとして活動に繋がっていきました。

「どんな状態のご遺体でも、亡くなった方とその家族のためお別れの時間を生み出す」、

その時間は尊いものであり、遺族が『死』を受け入れるためには必要なことだと、

笹原さんは語ります。</description>
      <pubDate>Wed, 13 Mar 2024 10:02:00 -0000</pubDate>
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『東日本大震災』。各地を襲った津波の高さは最大で14.8mに及び、

この災害で亡くなった方の死因は90％超が溺死と言われています。

ご遺体が安置所へ次々と運び込まれましたが、損傷が激しいこともあり身元確認に

時間を要し、保管は長引き腐敗も進みました。

事故や災害などで傷ついたご遺体を、生前の姿に重ね合わせ復元する『復元納棺師』。

 

笹原留似子さんは岩手県北上市で復元納棺師として活動。看護学校の特別講師として

グリーフケア、グリーフケアに伴う接遇講師も担当。東日本大震災では遺族や機関関係者から

依頼を受け遺体安置所をまわり、5ヶ月間で300人を超える「復元ボランティア」として奔走しました。

 

笹原さんが納棺師として活動が始まったのは2007年。交通事故によって亡くなったご遺体を家族に引き渡すにあたり、遺族が死という現実を受け止め故人を見送れるよう、

ご遺体をできるだけ生前と同じ顔、微笑みを浮かべた表情に戻す「復元」を始めたことが

きっかけです。家族のお別れの時間を守るため「ご遺体に微笑みを取り戻す」、

何度も繰り返すうちに、笹原さんは「復元納棺師」と呼ばれるようになりました。

 

東日本大震災のとき、遺体安置所で小さな亡骸と出会った笹原さん。「身元不明者」で

あったことから触れることすらできませんでしたが、「あの子を戻してあげられなかった」という後悔は、その後の復元ボランティアとして活動に繋がっていきました。

「どんな状態のご遺体でも、亡くなった方とその家族のためお別れの時間を生み出す」、

その時間は尊いものであり、遺族が『死』を受け入れるためには必要なことだと、

笹原さんは語ります。</itunes:summary>
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        <![CDATA[<p>死傷者行方不明者数2万8千人超、過去に例のない甚大な被害をもたらした</p>
<p>『東日本大震災』。各地を襲った津波の高さは最大で14.8mに及び、</p>
<p>この災害で亡くなった方の死因は90％超が溺死と言われています。</p>
<p>ご遺体が安置所へ次々と運び込まれましたが、損傷が激しいこともあり身元確認に</p>
<p>時間を要し、保管は長引き腐敗も進みました。</p>
<p>事故や災害などで傷ついたご遺体を、生前の姿に重ね合わせ復元する『復元納棺師』。</p>
<p> </p>
<p>笹原留似子さんは岩手県北上市で復元納棺師として活動。看護学校の特別講師として</p>
<p>グリーフケア、グリーフケアに伴う接遇講師も担当。東日本大震災では遺族や機関関係者から</p>
<p>依頼を受け遺体安置所をまわり、5ヶ月間で300人を超える「復元ボランティア」として奔走<br>しました。</p>
<p> </p>
<p>笹原さんが納棺師として活動が始まったのは2007年。交通事故によって亡くなった<br>ご遺体を家族に引き渡すにあたり、遺族が死という現実を受け止め故人を見送れるよう、</p>
<p>ご遺体をできるだけ生前と同じ顔、微笑みを浮かべた表情に戻す「復元」を始めたことが</p>
<p>きっかけです。家族のお別れの時間を守るため「ご遺体に微笑みを取り戻す」、</p>
<p>何度も繰り返すうちに、笹原さんは「復元納棺師」と呼ばれるようになりました。</p>
<p> </p>
<p>東日本大震災のとき、遺体安置所で小さな亡骸と出会った笹原さん。「身元不明者」で<br></p>
<p>あったことから触れることすらできませんでしたが、「あの子を戻してあげられなかった」<br>という後悔は、その後の復元ボランティアとして活動に繋がっていきました。</p>
<p>「どんな状態のご遺体でも、亡くなった方とその家族のためお別れの時間を生み出す」、</p>
<p>その時間は尊いものであり、遺族が『死』を受け入れるためには必要なことだと、</p>
<p>笹原さんは語ります。</p>]]>
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      <title>2024.3.11放送　復元納棺師 笹原留似子 - 復元納棺師 笹原留似子Part2</title>
      <link>https://audee.jp/voice/show/78864</link>
      <description>死傷者行方不明者数2万8千人超、過去に例のない甚大な被害をもたらした

『東日本大震災』。各地を襲った津波の高さは最大で14.8mに及び、

この災害で亡くなった方の死因は90％超が溺死と言われています。

ご遺体が安置所へ次々と運び込まれましたが、損傷が激しいこともあり身元確認に

時間を要し、保管は長引き腐敗も進みました。

事故や災害などで傷ついたご遺体を、生前の姿に重ね合わせ復元する『復元納棺師』。

 

笹原留似子さんは岩手県北上市で復元納棺師として活動。看護学校の特別講師として

グリーフケア、グリーフケアに伴う接遇講師も担当。東日本大震災では遺族や機関関係者から

依頼を受け遺体安置所をまわり、5ヶ月間で300人を超える「復元ボランティア」として奔走しました。

 

笹原さんが納棺師として活動が始まったのは2007年。交通事故によって亡くなったご遺体を家族に引き渡すにあたり、遺族が死という現実を受け止め故人を見送れるよう、

ご遺体をできるだけ生前と同じ顔、微笑みを浮かべた表情に戻す「復元」を始めたことが

きっかけです。家族のお別れの時間を守るため「ご遺体に微笑みを取り戻す」、

何度も繰り返すうちに、笹原さんは「復元納棺師」と呼ばれるようになりました。

 

東日本大震災のとき、遺体安置所で小さな亡骸と出会った笹原さん。「身元不明者」で

あったことから触れることすらできませんでしたが、「あの子を戻してあげられなかった」という後悔は、その後の復元ボランティアとして活動に繋がっていきました。

「どんな状態のご遺体でも、亡くなった方とその家族のためお別れの時間を生み出す」、

その時間は尊いものであり、遺族が『死』を受け入れるためには必要なことだと、

笹原さんは語ります。</description>
      <pubDate>Wed, 13 Mar 2024 10:01:00 -0000</pubDate>
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『東日本大震災』。各地を襲った津波の高さは最大で14.8mに及び、

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ご遺体が安置所へ次々と運び込まれましたが、損傷が激しいこともあり身元確認に

時間を要し、保管は長引き腐敗も進みました。

事故や災害などで傷ついたご遺体を、生前の姿に重ね合わせ復元する『復元納棺師』。

 

笹原留似子さんは岩手県北上市で復元納棺師として活動。看護学校の特別講師として

グリーフケア、グリーフケアに伴う接遇講師も担当。東日本大震災では遺族や機関関係者から

依頼を受け遺体安置所をまわり、5ヶ月間で300人を超える「復元ボランティア」として奔走しました。

 

笹原さんが納棺師として活動が始まったのは2007年。交通事故によって亡くなったご遺体を家族に引き渡すにあたり、遺族が死という現実を受け止め故人を見送れるよう、

ご遺体をできるだけ生前と同じ顔、微笑みを浮かべた表情に戻す「復元」を始めたことが

きっかけです。家族のお別れの時間を守るため「ご遺体に微笑みを取り戻す」、

何度も繰り返すうちに、笹原さんは「復元納棺師」と呼ばれるようになりました。

 

東日本大震災のとき、遺体安置所で小さな亡骸と出会った笹原さん。「身元不明者」で

あったことから触れることすらできませんでしたが、「あの子を戻してあげられなかった」という後悔は、その後の復元ボランティアとして活動に繋がっていきました。

「どんな状態のご遺体でも、亡くなった方とその家族のためお別れの時間を生み出す」、

その時間は尊いものであり、遺族が『死』を受け入れるためには必要なことだと、

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<p>『東日本大震災』。各地を襲った津波の高さは最大で14.8mに及び、</p>
<p>この災害で亡くなった方の死因は90％超が溺死と言われています。</p>
<p>ご遺体が安置所へ次々と運び込まれましたが、損傷が激しいこともあり身元確認に</p>
<p>時間を要し、保管は長引き腐敗も進みました。</p>
<p>事故や災害などで傷ついたご遺体を、生前の姿に重ね合わせ復元する『復元納棺師』。</p>
<p> </p>
<p>笹原留似子さんは岩手県北上市で復元納棺師として活動。看護学校の特別講師として</p>
<p>グリーフケア、グリーフケアに伴う接遇講師も担当。東日本大震災では遺族や機関関係者から</p>
<p>依頼を受け遺体安置所をまわり、5ヶ月間で300人を超える「復元ボランティア」として奔走<br>しました。</p>
<p> </p>
<p>笹原さんが納棺師として活動が始まったのは2007年。交通事故によって亡くなった<br>ご遺体を家族に引き渡すにあたり、遺族が死という現実を受け止め故人を見送れるよう、</p>
<p>ご遺体をできるだけ生前と同じ顔、微笑みを浮かべた表情に戻す「復元」を始めたことが</p>
<p>きっかけです。家族のお別れの時間を守るため「ご遺体に微笑みを取り戻す」、</p>
<p>何度も繰り返すうちに、笹原さんは「復元納棺師」と呼ばれるようになりました。</p>
<p> </p>
<p>東日本大震災のとき、遺体安置所で小さな亡骸と出会った笹原さん。「身元不明者」で<br></p>
<p>あったことから触れることすらできませんでしたが、「あの子を戻してあげられなかった」<br>という後悔は、その後の復元ボランティアとして活動に繋がっていきました。</p>
<p>「どんな状態のご遺体でも、亡くなった方とその家族のためお別れの時間を生み出す」、</p>
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      <title>2024.3.11放送　復元納棺師 笹原留似子 - 復元納棺師 笹原留似子Part1</title>
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『東日本大震災』。各地を襲った津波の高さは最大で14.8mに及び、

この災害で亡くなった方の死因は90％超が溺死と言われています。

ご遺体が安置所へ次々と運び込まれましたが、損傷が激しいこともあり身元確認に

時間を要し、保管は長引き腐敗も進みました。

事故や災害などで傷ついたご遺体を、生前の姿に重ね合わせ復元する『復元納棺師』。

 

笹原留似子さんは岩手県北上市で復元納棺師として活動。看護学校の特別講師として

グリーフケア、グリーフケアに伴う接遇講師も担当。東日本大震災では遺族や機関関係者から

依頼を受け遺体安置所をまわり、5ヶ月間で300人を超える「復元ボランティア」として奔走しました。

 

笹原さんが納棺師として活動が始まったのは2007年。交通事故によって亡くなったご遺体を家族に引き渡すにあたり、遺族が死という現実を受け止め故人を見送れるよう、

ご遺体をできるだけ生前と同じ顔、微笑みを浮かべた表情に戻す「復元」を始めたことが

きっかけです。家族のお別れの時間を守るため「ご遺体に微笑みを取り戻す」、

何度も繰り返すうちに、笹原さんは「復元納棺師」と呼ばれるようになりました。

 

東日本大震災のとき、遺体安置所で小さな亡骸と出会った笹原さん。「身元不明者」で

あったことから触れることすらできませんでしたが、「あの子を戻してあげられなかった」という後悔は、その後の復元ボランティアとして活動に繋がっていきました。

「どんな状態のご遺体でも、亡くなった方とその家族のためお別れの時間を生み出す」、

その時間は尊いものであり、遺族が『死』を受け入れるためには必要なことだと、

笹原さんは語ります。</description>
      <pubDate>Wed, 13 Mar 2024 10:00:00 -0000</pubDate>
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『東日本大震災』。各地を襲った津波の高さは最大で14.8mに及び、

この災害で亡くなった方の死因は90％超が溺死と言われています。

ご遺体が安置所へ次々と運び込まれましたが、損傷が激しいこともあり身元確認に

時間を要し、保管は長引き腐敗も進みました。

事故や災害などで傷ついたご遺体を、生前の姿に重ね合わせ復元する『復元納棺師』。

 

笹原留似子さんは岩手県北上市で復元納棺師として活動。看護学校の特別講師として

グリーフケア、グリーフケアに伴う接遇講師も担当。東日本大震災では遺族や機関関係者から

依頼を受け遺体安置所をまわり、5ヶ月間で300人を超える「復元ボランティア」として奔走しました。

 

笹原さんが納棺師として活動が始まったのは2007年。交通事故によって亡くなったご遺体を家族に引き渡すにあたり、遺族が死という現実を受け止め故人を見送れるよう、

ご遺体をできるだけ生前と同じ顔、微笑みを浮かべた表情に戻す「復元」を始めたことが

きっかけです。家族のお別れの時間を守るため「ご遺体に微笑みを取り戻す」、

何度も繰り返すうちに、笹原さんは「復元納棺師」と呼ばれるようになりました。

 

東日本大震災のとき、遺体安置所で小さな亡骸と出会った笹原さん。「身元不明者」で

あったことから触れることすらできませんでしたが、「あの子を戻してあげられなかった」という後悔は、その後の復元ボランティアとして活動に繋がっていきました。

「どんな状態のご遺体でも、亡くなった方とその家族のためお別れの時間を生み出す」、

その時間は尊いものであり、遺族が『死』を受け入れるためには必要なことだと、

笹原さんは語ります。</itunes:summary>
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        <![CDATA[<p>死傷者行方不明者数2万8千人超、過去に例のない甚大な被害をもたらした</p>
<p>『東日本大震災』。各地を襲った津波の高さは最大で14.8mに及び、</p>
<p>この災害で亡くなった方の死因は90％超が溺死と言われています。</p>
<p>ご遺体が安置所へ次々と運び込まれましたが、損傷が激しいこともあり身元確認に</p>
<p>時間を要し、保管は長引き腐敗も進みました。</p>
<p>事故や災害などで傷ついたご遺体を、生前の姿に重ね合わせ復元する『復元納棺師』。</p>
<p> </p>
<p>笹原留似子さんは岩手県北上市で復元納棺師として活動。看護学校の特別講師として</p>
<p>グリーフケア、グリーフケアに伴う接遇講師も担当。東日本大震災では遺族や機関関係者から</p>
<p>依頼を受け遺体安置所をまわり、5ヶ月間で300人を超える「復元ボランティア」として奔走<br>しました。</p>
<p> </p>
<p>笹原さんが納棺師として活動が始まったのは2007年。交通事故によって亡くなった<br>ご遺体を家族に引き渡すにあたり、遺族が死という現実を受け止め故人を見送れるよう、</p>
<p>ご遺体をできるだけ生前と同じ顔、微笑みを浮かべた表情に戻す「復元」を始めたことが</p>
<p>きっかけです。家族のお別れの時間を守るため「ご遺体に微笑みを取り戻す」、</p>
<p>何度も繰り返すうちに、笹原さんは「復元納棺師」と呼ばれるようになりました。</p>
<p> </p>
<p>東日本大震災のとき、遺体安置所で小さな亡骸と出会った笹原さん。「身元不明者」で<br></p>
<p>あったことから触れることすらできませんでしたが、「あの子を戻してあげられなかった」<br>という後悔は、その後の復元ボランティアとして活動に繋がっていきました。</p>
<p>「どんな状態のご遺体でも、亡くなった方とその家族のためお別れの時間を生み出す」、</p>
<p>その時間は尊いものであり、遺族が『死』を受け入れるためには必要なことだと、</p>
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      <title>2023.7.30放送　国境なき医師団・看護師 白川優子 - 国境なき医師団・看護師　白川優子Part3</title>
      <link>https://audee.jp/voice/show/68022</link>
      <description>紛争や災害、貧困などによって命の危機に瀕している人びとに医療を提供する、非営利で国際的な民間の医療・人道援助団体、それが「国境なき医師団（Médecins Sans Frontières 略称 MSF）」です。小学生のころ国境なき医師団の存在をテレビで知った白川優子さん。国境なき医師団の活動はその後憧れの存在となりました。周囲が反対するなか、商業高校から看護学校に入学するという珍しい経歴を持ち、36歳の時に国境なき医師団に採用され、最初にスリランカに派遣されます。戦争が終わってはいたものの、本当に医療が必要としている場所に医療が届いていない現実を目の当たりし、改めて衝撃を受けます。そして一つの医療チーム、一人の看護師の存在が現地医療にとっては大きな存在であること実感。看護師として活動する自分が、世界に貢献できている充実感はその後も国境なき医師団で活動する励みとなりました。その後、パキスタン、 イエメン、シリア、南スーダン、イラクなど、空爆や銃撃の音が鳴り響くさまざまな紛争地域に派遣されました。 現在は国境なき医師団の採用スタッフとして活動する白川さん。医師や看護師だけでなく、現地で医療活動を支える様々な非医療スタッフも大事な存在と語ります。「医療は一つのチームで行うもの」、必要とされている場所に医療が届くように、自身がこれまで経験した活動を伝える白川さん。今後も白川さんの国境なき医師団での活動は続きます。</description>
      <pubDate>Wed, 06 Sep 2023 00:02:00 -0000</pubDate>
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      <itunes:summary>紛争や災害、貧困などによって命の危機に瀕している人びとに医療を提供する、非営利で国際的な民間の医療・人道援助団体、それが「国境なき医師団（Médecins Sans Frontières 略称 MSF）」です。小学生のころ国境なき医師団の存在をテレビで知った白川優子さん。国境なき医師団の活動はその後憧れの存在となりました。周囲が反対するなか、商業高校から看護学校に入学するという珍しい経歴を持ち、36歳の時に国境なき医師団に採用され、最初にスリランカに派遣されます。戦争が終わってはいたものの、本当に医療が必要としている場所に医療が届いていない現実を目の当たりし、改めて衝撃を受けます。そして一つの医療チーム、一人の看護師の存在が現地医療にとっては大きな存在であること実感。看護師として活動する自分が、世界に貢献できている充実感はその後も国境なき医師団で活動する励みとなりました。その後、パキスタン、 イエメン、シリア、南スーダン、イラクなど、空爆や銃撃の音が鳴り響くさまざまな紛争地域に派遣されました。 現在は国境なき医師団の採用スタッフとして活動する白川さん。医師や看護師だけでなく、現地で医療活動を支える様々な非医療スタッフも大事な存在と語ります。「医療は一つのチームで行うもの」、必要とされている場所に医療が届くように、自身がこれまで経験した活動を伝える白川さん。今後も白川さんの国境なき医師団での活動は続きます。</itunes:summary>
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      <title>2023.8.13放送　戦後78 年 東京大空襲を語る 藤間宏夫 - 東京大空襲を語る 藤間宏夫Part3</title>
      <link>https://audee.jp/voice/show/68024</link>
      <description>東京大空襲は太平洋戦争(第二次世界大戦)末期に、アメリカにより行われた東京都区部に対する大量無差別の航空爆撃作戦。東京は100回を超える空襲を受け、特に1945年3月10日になされた夜間空襲は大規模のものとなり、この日だけで9万5千人を超える方が亡くなり、沖縄戦や広島・長崎への原爆投下と並ぶ、太平洋戦争中の日本における大戦災となりました。6歳の時東京大空襲に遭った藤間宏夫さん。今年(2023年)で85歳を迎えます。両親が制服やランドセルなどを準備し、入学の日を待ちわびていたそのとき東京大空襲に見舞われました。爆撃機B29が約300機も襲来し、数多くの焼夷弾を上空から投下され東京下町は焦土化。藤間さんは、家族と火傷を負いながらも逃げ続けました。親戚の家に身を寄せ生活し始めたものの、再び空襲に遭い生活排水が流れるドブの中に避難。九死に一生を得ます。その後、静岡県牧之原に疎開した先でも空襲に襲われ、生きていくのがやっとでした。 8 月15日、昭和天皇による玉音放送を聴き、憤りを覚えた藤間さん。「家が消失してしまったのになぜだ！」「幼友達が死んでしまったのになぜだ！」「近所の小母さんらが死んだのになぜだ！」唇をかみしめ、心の中で叫び続けました。藤間さんが空襲体験を語り始めたのは78歳の時。それまでは戦争体験は思い出したくない、語りたくない出来事でした。戦争を知らない人たちが増えていくなか、その事実を知らないがため平和を手放してしまう危険が迫っていることを感じ、自身に「事実を伝える責任」があることを受け入れました。いまも「東京大空襲・戦災資料センター」を中心に、自身の体験を語り講演も行っている藤間さん。国民・市民が戦争に巻き込まれることがないよう、どんな理由があっても戦争を起こしてはならないと訴え続けています。</description>
      <pubDate>Wed, 06 Sep 2023 00:02:00 -0000</pubDate>
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      <title>2023.7.30放送　国境なき医師団・看護師 白川優子 - 国境なき医師団・看護師　白川優子Part2</title>
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      <description>紛争や災害、貧困などによって命の危機に瀕している人びとに医療を提供する、非営利で国際的な民間の医療・人道援助団体、それが「国境なき医師団（Médecins Sans Frontières 略称 MSF）」です。小学生のころ国境なき医師団の存在をテレビで知った白川優子さん。国境なき医師団の活動はその後憧れの存在となりました。周囲が反対するなか、商業高校から看護学校に入学するという珍しい経歴を持ち、36歳の時に国境なき医師団に採用され、最初にスリランカに派遣されます。戦争が終わってはいたものの、本当に医療が必要としている場所に医療が届いていない現実を目の当たりし、改めて衝撃を受けます。そして一つの医療チーム、一人の看護師の存在が現地医療にとっては大きな存在であること実感。看護師として活動する自分が、世界に貢献できている充実感はその後も国境なき医師団で活動する励みとなりました。その後、パキスタン、 イエメン、シリア、南スーダン、イラクなど、空爆や銃撃の音が鳴り響くさまざまな紛争地域に派遣されました。 現在は国境なき医師団の採用スタッフとして活動する白川さん。医師や看護師だけでなく、現地で医療活動を支える様々な非医療スタッフも大事な存在と語ります。「医療は一つのチームで行うもの」、必要とされている場所に医療が届くように、自身がこれまで経験した活動を伝える白川さん。今後も白川さんの国境なき医師団での活動は続きます。</description>
      <pubDate>Wed, 06 Sep 2023 00:01:00 -0000</pubDate>
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      <title>2023.8.13放送　戦後78 年 東京大空襲を語る 藤間宏夫 - 東京大空襲を語る 藤間宏夫Part2</title>
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      <pubDate>Wed, 06 Sep 2023 00:01:00 -0000</pubDate>
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      <title>2023.7.30放送　国境なき医師団・看護師 白川優子 - 国境なき医師団・看護師　白川優子Part1</title>
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      <title>2023.3.5放送　原子力災害を見つめた過去、現在、未来 - 原子力災害を見つめた過去、現在、未来Part3</title>
      <link>https://audee.jp/voice/show/57900</link>
      <description>双葉町「東日本大震災・原子力災害 伝承館」館長　高村昇さん

2011 年3 月11 日14 時46 分、東日本大震災発生。長崎大学の高村昇さん（原爆後障害医療研究施設 放射線疫学分野教授）は18日に福島に入り「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」として福島県民に対して啓発活動を展開しました。広島、長崎に投下された原爆、チェルノブイリでおきた原子力発電所事故の教訓を活かし、東日本大震災では外部被爆を防ぐため、避難指示や屋内退避指示が出され、また内部被曝を防ぐために放射性物質が暫定基準値を上回る食材は流通制限、摂取制限がなされました。一方で被爆、被曝について専門家の間でも見解が分かれコンセンサスが図れなかったことなど、情報発信のあり方で県民が不安を抱えてしまった側面もあると高村さんは当時を振り返ります。

震災の記録や教訓を後世に継承・発信し、世界と共有することを目的とし、双葉町に「東日本大震災・原子力災害 伝承館」が2020 年9 月に開館。「国内外の皆さんにご来館頂き、福島を正しく知って欲しい。そしてこの福島の教訓を世界の防災、減災に役立てて欲しい」。それらの想いを胸に高村館長の活動は今後も続きます。</description>
      <pubDate>Sun, 05 Mar 2023 10:02:00 -0000</pubDate>
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      <itunes:author>ふくしまFM</itunes:author>
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      <itunes:summary>双葉町「東日本大震災・原子力災害 伝承館」館長　高村昇さん

2011 年3 月11 日14 時46 分、東日本大震災発生。長崎大学の高村昇さん（原爆後障害医療研究施設 放射線疫学分野教授）は18日に福島に入り「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」として福島県民に対して啓発活動を展開しました。広島、長崎に投下された原爆、チェルノブイリでおきた原子力発電所事故の教訓を活かし、東日本大震災では外部被爆を防ぐため、避難指示や屋内退避指示が出され、また内部被曝を防ぐために放射性物質が暫定基準値を上回る食材は流通制限、摂取制限がなされました。一方で被爆、被曝について専門家の間でも見解が分かれコンセンサスが図れなかったことなど、情報発信のあり方で県民が不安を抱えてしまった側面もあると高村さんは当時を振り返ります。

震災の記録や教訓を後世に継承・発信し、世界と共有することを目的とし、双葉町に「東日本大震災・原子力災害 伝承館」が2020 年9 月に開館。「国内外の皆さんにご来館頂き、福島を正しく知って欲しい。そしてこの福島の教訓を世界の防災、減災に役立てて欲しい」。それらの想いを胸に高村館長の活動は今後も続きます。</itunes:summary>
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<p>2011 年3 月11 日14 時46 分、東日本大震災発生。<br>長崎大学の高村昇さん（原爆後障害医療研究施設 放射線疫学分野教授）は<br>18日に福島に入り「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」として<br>福島県民に対して啓発活動を展開しました。広島、長崎に投下された原爆、<br>チェルノブイリでおきた原子力発電所事故の教訓を活かし、東日本大震災では<br>外部被爆を防ぐため、避難指示や屋内退避指示が出され、また内部被曝を防ぐために<br>放射性物質が暫定基準値を上回る食材は流通制限、摂取制限がなされました。<br>一方で被爆、被曝について専門家の間でも見解が分かれコンセンサスが図れなかった<br>ことなど、情報発信のあり方で県民が不安を抱えてしまった側面もあると高村さんは<br>当時を振り返ります。</p>
<p><br>震災の記録や教訓を後世に継承・発信し、世界と共有することを目的とし、双葉町に<br>「東日本大震災・原子力災害 伝承館」が2020 年9 月に開館。「国内外の皆さんに<br>ご来館頂き、福島を正しく知って欲しい。そしてこの福島の教訓を世界の防災、<br>減災に役立てて欲しい」。<br>それらの想いを胸に高村館長の活動は今後も続きます。</p>]]>
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      <title>2023.3.5放送　原子力災害を見つめた過去、現在、未来 - 原子力災害を見つめた過去、現在、未来Part2</title>
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      <description>双葉町「東日本大震災・原子力災害 伝承館」館長　高村昇さん

2011 年3 月11 日14 時46 分、東日本大震災発生。長崎大学の高村昇さん（原爆後障害医療研究施設 放射線疫学分野教授）は18日に福島に入り「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」として福島県民に対して啓発活動を展開しました。広島、長崎に投下された原爆、チェルノブイリでおきた原子力発電所事故の教訓を活かし、東日本大震災では外部被爆を防ぐため、避難指示や屋内退避指示が出され、また内部被曝を防ぐために放射性物質が暫定基準値を上回る食材は流通制限、摂取制限がなされました。一方で被爆、被曝について専門家の間でも見解が分かれコンセンサスが図れなかったことなど、情報発信のあり方で県民が不安を抱えてしまった側面もあると高村さんは当時を振り返ります。

震災の記録や教訓を後世に継承・発信し、世界と共有することを目的とし、双葉町に「東日本大震災・原子力災害 伝承館」が2020 年9 月に開館。「国内外の皆さんにご来館頂き、福島を正しく知って欲しい。そしてこの福島の教訓を世界の防災、減災に役立てて欲しい」。それらの想いを胸に高村館長の活動は今後も続きます。</description>
      <pubDate>Sun, 05 Mar 2023 10:01:00 -0000</pubDate>
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震災の記録や教訓を後世に継承・発信し、世界と共有することを目的とし、双葉町に「東日本大震災・原子力災害 伝承館」が2020 年9 月に開館。「国内外の皆さんにご来館頂き、福島を正しく知って欲しい。そしてこの福島の教訓を世界の防災、減災に役立てて欲しい」。それらの想いを胸に高村館長の活動は今後も続きます。</itunes:summary>
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<p>2011 年3 月11 日14 時46 分、東日本大震災発生。<br>長崎大学の高村昇さん（原爆後障害医療研究施設 放射線疫学分野教授）は<br>18日に福島に入り「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」として<br>福島県民に対して啓発活動を展開しました。広島、長崎に投下された原爆、<br>チェルノブイリでおきた原子力発電所事故の教訓を活かし、東日本大震災では<br>外部被爆を防ぐため、避難指示や屋内退避指示が出され、また内部被曝を防ぐために<br>放射性物質が暫定基準値を上回る食材は流通制限、摂取制限がなされました。<br>一方で被爆、被曝について専門家の間でも見解が分かれコンセンサスが図れなかった<br>ことなど、情報発信のあり方で県民が不安を抱えてしまった側面もあると高村さんは<br>当時を振り返ります。</p>
<p><br>震災の記録や教訓を後世に継承・発信し、世界と共有することを目的とし、双葉町に<br>「東日本大震災・原子力災害 伝承館」が2020 年9 月に開館。「国内外の皆さんに<br>ご来館頂き、福島を正しく知って欲しい。そしてこの福島の教訓を世界の防災、<br>減災に役立てて欲しい」。<br>それらの想いを胸に高村館長の活動は今後も続きます。</p>]]>
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      <title>2023.3.5放送　原子力災害を見つめた過去、現在、未来 - 原子力災害を見つめた過去、現在、未来Part1</title>
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2011 年3 月11 日14 時46 分、東日本大震災発生。長崎大学の高村昇さん（原爆後障害医療研究施設 放射線疫学分野教授）は18日に福島に入り「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」として福島県民に対して啓発活動を展開しました。広島、長崎に投下された原爆、チェルノブイリでおきた原子力発電所事故の教訓を活かし、東日本大震災では外部被爆を防ぐため、避難指示や屋内退避指示が出され、また内部被曝を防ぐために放射性物質が暫定基準値を上回る食材は流通制限、摂取制限がなされました。一方で被爆、被曝について専門家の間でも見解が分かれコンセンサスが図れなかったことなど、情報発信のあり方で県民が不安を抱えてしまった側面もあると高村さんは当時を振り返ります。

震災の記録や教訓を後世に継承・発信し、世界と共有することを目的とし、双葉町に「東日本大震災・原子力災害 伝承館」が2020 年9 月に開館。「国内外の皆さんにご来館頂き、福島を正しく知って欲しい。そしてこの福島の教訓を世界の防災、減災に役立てて欲しい」。それらの想いを胸に高村館長の活動は今後も続きます。</description>
      <pubDate>Sun, 05 Mar 2023 10:00:00 -0000</pubDate>
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2011 年3 月11 日14 時46 分、東日本大震災発生。長崎大学の高村昇さん（原爆後障害医療研究施設 放射線疫学分野教授）は18日に福島に入り「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」として福島県民に対して啓発活動を展開しました。広島、長崎に投下された原爆、チェルノブイリでおきた原子力発電所事故の教訓を活かし、東日本大震災では外部被爆を防ぐため、避難指示や屋内退避指示が出され、また内部被曝を防ぐために放射性物質が暫定基準値を上回る食材は流通制限、摂取制限がなされました。一方で被爆、被曝について専門家の間でも見解が分かれコンセンサスが図れなかったことなど、情報発信のあり方で県民が不安を抱えてしまった側面もあると高村さんは当時を振り返ります。

震災の記録や教訓を後世に継承・発信し、世界と共有することを目的とし、双葉町に「東日本大震災・原子力災害 伝承館」が2020 年9 月に開館。「国内外の皆さんにご来館頂き、福島を正しく知って欲しい。そしてこの福島の教訓を世界の防災、減災に役立てて欲しい」。それらの想いを胸に高村館長の活動は今後も続きます。</itunes:summary>
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<p><br>震災の記録や教訓を後世に継承・発信し、世界と共有することを目的とし、双葉町に<br>「東日本大震災・原子力災害 伝承館」が2020 年9 月に開館。「国内外の皆さんに<br>ご来館頂き、福島を正しく知って欲しい。そしてこの福島の教訓を世界の防災、<br>減災に役立てて欲しい」。<br>それらの想いを胸に高村館長の活動は今後も続きます。</p>]]>
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      <title>2022.11.13放送　大正から令和 母と息子の二人三脚</title>
      <link>https://audee.jp/voice/show/52539</link>
      <description>大正生まれの現役理容師・箱石シツイさんは、2022年11月10日に106歳を迎えました。

第二次世界大戦で夫・二郎さんを亡くしてからも疎開先の栃木県で理髪店を営み、親子二人三脚で令和まで生き抜いています。

生きる強さは、二郎さんのある言葉から生まれました。

番組では、シツイさんと息子・英政さんが当時を振り返ります。</description>
      <pubDate>Sun, 13 Nov 2022 10:00:00 -0000</pubDate>
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      <itunes:author>ふくしまFM</itunes:author>
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第二次世界大戦で夫・二郎さんを亡くしてからも疎開先の栃木県で理髪店を営み、親子二人三脚で令和まで生き抜いています。

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<p>番組では、シツイさんと息子・英政さんが当時を振り返ります。</p>]]>
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      <title>2022.06.26放送　アンティークと人生を巡る旅  - アンティークと人生を巡る旅 Part 2</title>
      <link>https://audee.jp/voice/show/46077</link>
      <description>今回の『THE INTERVIEW』では、アンティークディーラーとして活躍をされている石井陽青さん（銀座アンティーク・アイ）へのインタビューをお届けします。世界中に買い付けに行かれる旅で出会った人やモノ、出来事が、人生にどのような影響を与えているのか？石井さんの「アンティークと人生を巡る旅」に迫ります。出演：石井陽青（銀座アンティーク・アイ）インタビュアー：三吉梨香（ふくしまFM）</description>
      <pubDate>Sun, 26 Jun 2022 10:01:00 -0000</pubDate>
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      <title>2022.06.26放送　アンティークと人生を巡る旅  - アンティークと人生を巡る旅 Part 1</title>
      <link>https://audee.jp/voice/show/46077</link>
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      <pubDate>Sun, 26 Jun 2022 10:00:00 -0000</pubDate>
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